悪魔の食べ物と呼ばれた食べ物

食文化

これ何かご存じですか?ジャガイモです。

1年にどれくらい食べていますか?ジャガイモって私たちの食に絶対必要な野菜ですよね。私にとっては、後、ニンジンと玉ねぎ、これがなくては料理ができない、って感じです。この食べ物はコロンブスがアメリカ大陸を発見してからヨーロッパに持ち込まれたものですが、現地では今もパパと呼ばれているんですって。初めてこの食べ物を目にしたスペイン人はトリュフ、つまりキノコのようなものとして記録しているそうです。同時期にヨーロッパに持ち帰られたトウモロコシは穀類としてすんなり食用となったのだけど(その段階では、トルコの小麦粉と呼ばれていました。七面鳥がturkey,つまりトルコと呼ばれるようになったのと関連があります。そのお話はまた別の機会に)ジャガイモはその栽培の仕方から悪魔の植物、とまで言われ、ヨーロッパじゅうに普及するようになるまで100年、200年経っていました。

聖書の中に出てこない食べ物、聖書の中に出てこない栽培の仕方、と言うのが人々に普及しなかった原因とか。ヨーロッパの人たちにとって、本当に深くキリスト教が彼らの生活に様々な形で影響を及ぼしていたということが垣間見えますね。コーヒーが普及していく前にもコーヒーは悪魔の飲み物、としてヴァチカンの法皇がコーヒーに自ら洗礼をし、コーヒーを誰でもが口にしていい様にしたとか。これには実は法王の都合のいい言い訳があって自分が飲んでみたらおいしかったので、悪魔の飲み物などと言ってはおられなくなって皆も飲めるようにした、とかです。

さて、元に戻ってジャガイモのお話です。。ジャガイモは常に劣性植物と言うイメージがついてまわり、ヨーロッパにおいて18世紀になっても家畜の飼料かせいぜい貧民の救荒作物という域を出なかったようです。

ジャガイモは16世紀後半から17世紀前半にかけてイギリスにおいては,まだ普及はしていなかったとか。しかし、1840年ころまでにはイギリス人の食生活に定着していったそうです。定着したとは言うものの、それは依然として貧民の食べ物、労働者階級の食べ物であり続けたようです。イギリス本来の食べ物とはまずは何と言っても肉であり、それには小麦粉で焼いたパンがつきものだった。しかし、肉は高価でジャガイモでおぎなわなければならなかったというわけです。こうして1860年代にはジャガイモと魚が労働者階級の食べ物を象徴する存在となっていきました。このため、1861年ころのロンドンの街頭ではホットポテトを売る店が多数登場したのです。

1ギリスでは18世紀後半から産業革命が進み、資本家と工場労働者の階層も生まれていきました。このような工業化がが進行すると、やがてイギリスではジャガイモと魚のフライが労働者の食事の中心となったのです。有名なフィッシュ&チップスを売る店があちこちに出現しました。これが普及したのは19世紀中ごろから60年代以降のこと、そして、20世紀初めのロンドンでは1200軒ものフィッシュ&チップスの店があったそうです。

ヨーロッパの各地でジャガイモが偏見にまみれた中で、ジャガイモ好きとして知られる国がありました。アイルランドです。このため、国民の大半が大きな災禍を被ることになってしまったのです。ジャガイモによる大飢餓the Great Hungerです。

それにしてもフィシュ&チップス、おいしいですね。私が初めてそれを口にしたのはロンドンで下が、やはり元の英国の植民地には今も根強く英国の影響がある様で、ニュージーランドでもオーストラリアでも食べる事が出来ました。ロンドンのが一番おいしかったのはなぜでしょうか?

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