個室文化と雑居文化

カルチャーショック

ロンドンにある公園、歩いてみられましたか?私はケンシントンパークをゆっくり歩いてみましたが、かなり広い・・・。

ロンドンの町にはいくつも公園があります。ハイドパークの様に誰でも入れる公園もありますが、多くは誰でも入っていい公園ということでもないのです。

鉄柵がめぐらされ、扉には鍵がかかっています。そこを使う人はカギを持っていて自分で開けて入り、またカギをかける・・・限られた地区の人たちの私園で仲間内の公園という事なのです。

それは貴族や富豪の私邸の庭園と同じこと。家々の中の広間やロビーと同じく内々のものだけの使用に供されるのです。内々のものもそれぞれの個室を持ち、各個室にはカギがかけられる。もちろん、いずれの場合も外部の者がゲストとして招じ入れられるということは確かですが、だからと言って境目をきちんと立てて外部の者を締め出すという原則が崩されるわけではないのです。

自己と他者、、自己集団、外部者の間にこういう明確なけじめをつけることは社会環境についてだけではなく、自然環境についても一貫しています。人と物の間には明確な一線が画され、人と他の生物の間でも同じであって、かって奴隷が人間外の存在としてものと同じに扱われたのも同じ倫理に従ったものだということです。

こういうことは、構造的に誠に一貫しています。西欧的な個人主義もおそらくはこうした論理の中で成立したものと考えられますが、そこからたぶんに価値的な意味を込めて「住まい」の在り方をめぐって西欧と日本を比較し、西欧のそれを個室文化、日本のそれを雑居文化と呼ぶのが一般的です。

和室と呼ばれる日本風の家は、間切りがあってもそれはふすまや障子であり、壁や扉で仕切られているわけではない。開けたては自由でカギをかける建前にはなっていない。閉め切っていても物事や人声はもちろん、気配が分かる。第一、仕切ってあるだけだからいつでもだれでも外から開ける事が出来る。それはお互いの配慮によってのみ支えられる・・・まさに象徴的な仕切りですよね。

しかしながら、日本の家はふすまや障子で仕切って使うけれども、これを取り払って広間としても使う。使い方がゆうずうむげ!

部屋の中の畳にしても部屋いっぱいに敷き詰めてあるが、一枚一枚は等身大で、畳と言うものは成り立ちから言えば座具と寝具を兼ね供えたもの。

日常生活でお互いに裸になる風呂ももらい湯や共同湯、いずれもあけっぴろげで都市では銭湯のようなものまでができ、男女混浴さえあり、その代わりに浴槽と流し場が分けられた。

着物をとってみても、身体に合わせると言っても洋服と違い、ごく大雑把なもので他人でも着られるし、第一、作り替えが簡単です。

物を包んで運ぶための風呂敷も包むばかりでなく、覆いにもなり、頭にかぶり、前掛け代わりや敷いて座るにもよく、鞄や袋ではとても望めない使い方ができる。

下駄や草履も男物と女物、大小の違いはあれ、要するに融通が利く。総じていえばこれらはいずれも使用者は複数化し、用途は多数で融通無礙なのが特徴。

家屋の発達のもとをただせば、洋の東西を問わず、どこでも一間から始まっている。

西洋や中国の家が蜂の巣の様に同じような大きさの家を次々に作り出していったのに対して、日本の住まいはまるで風船を膨らませる様に一室のままで家そのものを限りなく膨張させていきました。

そういう姿をとった建築様式は、鎌倉時代に現れた田の字型の平面を持つ「武家作り」が最初ではなかったかと言われ、それを建築様式的に完成させていく室町時代の「書院作り」になると、はっきりその形が成立する、と言っている(上田篤著「日本人の住まい」)が日本の家屋は一間をそのまま膨張させ手収容能力を増大させていきました。そしてそれは縁によって庭につながり、垣間見のできる垣によって外部とつながっていた。寺院や貴族、武家では塀塀が作られたが一般に普及したのは垣である。

日本の家って本当お客様を迎えるには便利ですよね。。廊下などでもOKならかなりなお客様を受け入れられるでしょう。西洋はベッド数で計算するので比になりません。

大阪に住んでいた時、母、弟、、妹、そしてそれぞれの子供たちまでやって来て総勢10人が小さなアパートで寝ることになったのですが、なんとかなりました。不思議なカルチャーショックでした。

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