Sanskrit インドのお話

英語雑記

インドってユニークな国ですよね。暑いのが苦手なので行きたいとは思わないのですが、そこへ旅した多くの知人がその国へ旅して人生観が変わったと言います。何がそうさせるのでしょうか?貧しい人たちを見るから?カースト制度のせい?夫は45年くらい前にそこへ旅したのですが、ボンベイはこの世の地獄だったと言っていました。

何でもある人たちにとっては都合よくある人たちにとって都合が悪いものがある・・・人間が作ったからですよね。大英帝国の植民地時代も延々とカースト制度は生き続け、底辺の人々は虐げられていました。

そこへ新しい宗教が西方からやって来ました。それがイスラム教です。その宗教は誰でも受け入れてくれるというものでした。底辺の人々は神に救いを求めたのです。

彼らはイスラム教に改宗していきました。その後、その人たちにより、パキスタンと言う新しい国が作られていきました。その必然性があったという事でしょう。

ところで、インドの言語、サンスクリットって日本になじみは多いのでしょうか。サンスクリット語は英語に似た点が多いのですが(もちろん、それはサンスクリット語がアーリア系の言語だからですが)、仏教の国、日本にはその宗教を通して、私たちが日々使っている言葉の中にも知らず知らずのうちに、もとはサンスクリット語だったものが入り込み、日本語になってしまっています。

将来、運命、未来、乞食等などです。これらの言葉の意味をじっくり考えてみるとなるほどと思えてきますよね。

また、南無阿弥陀仏もサンスクリット語から来ているのです。南無はname(名前を挙げて尊ぶ、唱える)、阿弥陀は ameter(aは否定、 meterは測る、つまり、無量)はかり知れぬ Buddha(仏)という事なのです。 name ameter Buddha 「はかり知れぬ偉大な仏の名をあがめ唱えよ」となるのです。

ソトウバも日本語になっていますが、東南アジアに旅をするとそれがどういうものであるかよく分かります。

仏舎利もソトウバの形です。大きなものから小さいものまで、あらゆる遺跡で目にする事が出来ます。小さいものは日本で普通に目にする事が出来る墓石大(もう少し大きいかな)で丸くなく長方形だったりします。

それらを見ていると、つまり、日本の墓石はソトウバからあのような形になったのか、と私は思いました。

ソトウバの英語はstupaです。遺跡で目にするスツーパと日本の墓地で目にするソトウバがもともとは同じものであったとは、意外ですよね。

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